2013年2月15日金曜日

句楽詩 2月号
 


ペン画:加藤 閑 『426 三つのまつぼっくり』
 

さとう三千魚・「はなとゆめ」10
加藤 閑  ・冬の海
       忘れるための日記
古川ぼたる ・大雪が降った
       言葉を生きる(5)


さとう三千魚 「はなとゆめ」10

闇取引

この
世の
闇のなかで
手を
握っていた

この
世の
闇のなかで
女のヒトの手を握っていた
震える手を握っていた

懐かしい匂いに鼻をうずめていた

懐かしい
懐かしい
懐かしい

わたし思った

懐かしい匂いを嗅いでいた
懐かしい匂いを嗅いでいた

もう死にたいと女のヒトはいった
もう死んでるんだと
わたし
思った

女のヒトも
わたしも
この世に生まれてしまったから
この世に生まれてしまったから

もう死んでるんだとわたし思った
もう死んでるんだとわたし思った

この
世の
あちらとこちらで
闇取引は
あり

この
世の
かたすみの
闇のなかに
星を
見ました

いくつも星を見ました
いくつも星を見ました

懐かしい
思いました
わたし懐かしいと思いました

わたしいくつも星がひかっていました
わたしいくつも星がひかっていました



加藤 閑   冬の海


黒板に亀泳ぎ着く吹雪の夜

詩歌集表紙に千鳥放ちたり

鬱々とうろこの並ぶ冬の海

タンカーに雪積もる日のかもめかな

暗室に冬の銀河の動く音

流氷でふて寝してゐるおつとせい

梅の香に瓦もゆるむ日暮れかな

懸崖に冬の歯型が残りをり

雪残る桑名キネマの跡地かな

寒明けて余分にまはる瓶の蓋

忘れるための日記 

2013122日(火)
この3日間、毎晩ブルックナーを聴いている。
一昨日が8番、昨日が7番、今日が5番。演奏はすべてチェリビダッケ指揮のミュンヘンフィル。どれもいわゆる海賊盤のCDだ。チェリビダッケは生前、録音による演奏の販売を認めなかったので、膨大な数の海賊盤が出回った。死後、家族の承認のもとに、放送音源などが正規盤として発売されたが、ベスト盤は海賊盤にありとする人が少なくない。
シュトゥットガルト放送交響楽団の正規盤はドイツ・グラモフォンから、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のものはEMIから出ている。しかし、例えばブラームスの交響曲第4番などは圧倒的に米AUDIORのミュンヘンフィル盤がよい。一昨日聴いていたブルックナーの8番も、同じAUDIORから出たミュンヘンフィルの演奏。ご丁寧に日本語の帯のようなものが付いていて、19944月、リスボンでのライブだと書かれている。これはマニアの間で超名演として有名だったディスクで、実際聴いてみるとEMIの正規盤よりもチェリビダッケの味が濃く出ているように思える。海賊盤といえども、音源自体は正規のコンサートで、要はその成立の過程が正規の手続きを踏んでなされているか否かの違いにすぎない。こういう書き方をすると、著作権擁護者からは白い目で見られそうだが、著作権などもともとさほど実体のあるものとは思えない。

2013126日(土)
ブルックナーの演奏のことをまた考える。ブルックナーを最初に聴いたのは、テレビでオイゲン・ヨッフムが6番の指揮をするのを観たときだった。オーケストラは覚えていない。でもそのときのヨッフムの顔や表情がとてもよかった。ときどき指揮者は顔だ!と言いたくなる。クライバー(息子のほうです、もちろん)などの映像をみるとつくづくそう思う。
とにかく、ヨッフムの指揮が素敵だったので、たしか図書館でブルックナーの6番、しかもヨッフムその人の演奏のLPを借りて聴いた。そのジャケットがヨーロッパの田園風景で、妙にこの曲に合っているように思えた。だが音楽は記憶にない。ヨッフムはブルックナーをよくとりあげたようで、録音もドイツ・グラモフォンにベルリン・フィル、EMIにドレスデン・シュターツカペレの二種類の全曲盤が残されている。
わたしにとってブルックナーの音楽は、時間の波のようなもので、聴けば聴くほどそのなかに溺れていくし、それに身を委ねたくなる。こういう聴き方がいいとは思わない。また、音楽のそういうところが嫌だというひとをわたしは知っている。確かに音楽のうねりに惑溺して身を任せるというのは大げさに言えば批評の放棄かもしれない。それに、もしかするとわたしは音楽が分からないからブルックナーをこういうふうに好きなのかも知れないと思う。
しかし、チェリビダッケの演奏は、そんなわたしのブルックナーの聴き方を助長する。音楽の遅々とした歩み。のたうつようなトレモロ。そのくせ音のぴったり合った、色が見えるような合奏。中毒になりそうだ。この音楽が終わらなければいいと心底思う。
チェリビダッケが死んだ後、ブルックナーの演奏で大きく脚光を浴びたギュンター・ヴァントの演奏は、特に評判のよい晩年のものほど立派過ぎて、わたしには着いていけない。かれの演奏は、わたしの酔いを妨げる。

2013212日(火)
先日、ピーター・バラカンの本が岩波新書で出た。(「ラジオのこちら側で」)
ピーター・バラカンは、毎週土曜日の朝、NHK・FMで「ウィークエンド・サンシャイン」という音楽番組のDJをずっとやっている。DJとはいうものの、ノリノリのおしゃべりをしながらヒット曲をかけるというイメージとはほど遠く、自分の目に(耳に)かなった音楽を静かな語り口で紹介するという感じの番組だ。本のなかで、かれ自身BBCのローカル局で聴いた「Honky Tonk」のDJ、チャーリー・ギレットのやり方が自分の人生に転機をもたらしたことを明かしている。
最初にこの番組を聴いたとき、パーソナリティは日本人、それもかなりきちんとした日本語がしゃべれる人という印象を受けた。なによりも、言葉のはしばしに音楽に対する深い愛情があふれていて、聴いていてほんとうに気持ちがよかった。当時は日曜の朝に吉田秀和が「名曲のたのしみ」という番組を持っていたけれど、音楽のジャンルは違っていてもふたりの語り口には何か共通した音楽への献身のようなものを感じたのを覚えている。
この本に出てくる曲をほとんどわたしは知らない。かれが活躍しだすのは1980年代に入ってからのようだから、ちょうどわたしがポピュラー音楽を聴かなくなってしまった時期に当たる。それでもこの本は面白く読める。それは多分、ピーター・バラカンが常に音楽と対話する姿勢をもっていて、その経過や結果となるものを読者(ラジオの場合はリスナー)に提供してくれるからだろう。
かれは、自分の番組へのリクエストにラジオ・ネームを徹底して認めない。自分の好きな音楽を紹介するときは自分の名前くらい明かせというスタンスだ。それはかれの、リスナーと対話しようとする姿勢のあらわれとも思える。ラジオ・ネームというのは、一見番組に参加しているような錯覚をもつかもしれないけれど、結局自分を隠して好き勝手なことを言いうための隠れ蓑にすぎない。
チャーリー・ギレットのDJから受けた「同じ部屋にいる友だちが気に入ったレコードを聞かせてくれるような雰囲気」を、かれも目指しているのだろう。それが、かれの番組を聴くひとたちを心地よくしているのはまちがいない。


古川ぼたる  大雪が降った


2013114日は月曜日でも休日だった
昼前から思いがけない大雪が降って
雪の深さは足首まで埋まりそうだった
午後になっても降り続けてたが
畑作業用のゴム長靴を履いて
家のそばを流れる古利根川伝いに歩いた
吹雪く川原はきれいだった
降り続ける雪で
昨日までの見慣れた景色が一変していた
白い景色は目的もなく立入るのを拒んでいるのに
開かれるのを待っている
大勢の死者や未知の人たちが書いた
閉ざされた文字が整然と立ち尽くしている
沈黙のなかに入って行く時のように
内臓がずり落ちそうで
自分をなんとか
閉じ込めようとしている
私は幼児のようだ

あの角まで行ってみよう
あの角まで行く途中に
大きな胡桃の木が生えている
大きな木に呼ばれるように
そばに行って
その先の角を右に折れて家に帰るつもりで歩いた
歩きながら今日の大雪を記録しようとカメラに収めた
画像には年月日時刻が入るようにセットして
写した景色を日付のなかに閉じ込めておくと
あの胡桃の種子のように
新しく芽生える日がくると思って

雪を被った胡桃の木は
遠くから見ると
たっぷりと髪の毛を蓄えた生き物のようだし
近づくにつれて
苦しんでいる
人の姿のようだ
土のなかに頭をうずめて
空のたくさんの手足は疲れて硬直している
それで
何を求めているのだろう
こんな日にも
土のなかの頭部と地上の胴体とは
私が立っている地面を境界にして
少しずつ少しずつ何を地下に求め
少しずつ少しずつ何を上空に求め
春には新芽を膨らませ
初夏には鉛筆ほどの長さの緑色の花をつける
光合成をしているのだという
根本は周囲1メートルほどの太さになっている
一度噛んだ果肉は渋く殻は固い
忘れられない果肉
果肉の数だけ忘れられないことが多くなる
人ではない胡桃の木は数十年
季節の実を結んでいる

雪は10センチ以上積もっても降り続けた
ストーブを焚いている部屋に帰ってきて
胡桃の実の固い殻のなかから
なかにしまわれた記憶を取り出すように
カメラからPCにデータを送る
撮って来た画像を再生し
帰りを待っていた女房にも見せた
彼女とは40年近く一緒に住んでいるが
こんな降り方をした大雪を
ここに住んで見るのは初めてのような気がする
吹雪く川原の
雪をまとった胡桃の木は
日付もうまく入っていて
彼女もきれいだと言ってくれたので
うれしかった
あの日
長女の生まれた日も
雪の降る日だった
その子は予定日より十日ほど早く破水したので
大きな川のほとりにある病院に向かって
明け方の雪の中
転ばないように
二人とぼとぼ歩いていったのだった
雪の日の赤ちゃんは逆子で生まれた
女の子だったので
雪江と名づけたのだった


言葉を生きる(5)


『鼎談〈現代詩〉をもみほぐす そしてもっと詩を楽しむ 第2回』(鈴木志郎康氏、辻和人氏、今井義行氏)のなかで取り上げられていた鈴木志郎康氏の詩集『少女達の野』について、読むことの試行をしようと思いました。詩はどう読んだらいいのでしょうか。詩の一篇一篇について、自分自身のためのノートとして、またの日に振り返って新たな発見を付け加えられるように。

光、凝る

きいろいぞ
きいろい
おお、晴れ、五月
老いの五月
子は目覚めない
目覚めない
名を呼んで叱る
求め迷って来ってみると
河原に光は充ち

タイトルと第一連。タイトル「光、凝る(ひかり、こごる)」、光が固まって堅くなる、という意味に理解して。たぶん、朝、目覚めて、差しこむ光に目を奪われる、その光は、きいろいぞ、と発語を誘う。続けて、きいろい、とこころ浮き立つ。晴れた五月の光を感じて、気分がたかまる。おお、と感嘆詞、晴れ、五月、弾む調子。老いの五月、ときてやや沈む。子どもが目覚めてないのに気がつく。目覚めてないので、名前を呼んで、叱って、起こすのだろうが、起こすところには行かない。求め、は発語の主体が発語を、続く言葉を求め、迷って、言葉を探し求めて、迷って、来てみると。
「求め迷って来ってみると(もとめまよってきたってみると)」は3443音。早いテンポ、促音で場面の転換を促すために置かれ、「河原に光は充ち(かわらにひかりはみち)」。4音4音2音。最後を2音にし、これから言葉が更に続くように、宙づりにしている状態。5月の光のなかに目覚め、河原に辿りつく。「河原」という場面の言葉。

それら草の名は知らなかった
見分ける心を持たなかったから
それら玉石の名は知らなかった
使うこともなかったから
無知なんだ

第二連。一連目の「名を呼んで叱る」からの名、草の名、玉の名、石の名、知らなかった名。知らないことが知りたいという欲望へ。欲望が行為へと導く。
「なかった」「なかったから」という沈んだ否定的な措辞が繰り返され、「から」「から」と流れが始まりそうなところで、「無知なんだ」、とトボケて断ち切り、次の連へと転換、場面の展開、行為。

妻と子と散策する
見れば、
草はそれぞれに異なる
接して写真に撮る
草の名は知らなかった

第三連。ここまできて、5月の晴れた日に妻子を伴って河原に散策に行ったことになる。韻律は漢詩を読み下しているようなやや擬古調に「接して写真に撮る」、速度をつけて。名前を知らない草の写真を撮る。玉石ではなく、草の名へ向かう。

光、凝る
きいろいぞ
きいろい
名は何ていうの
花は問い掛けても
小さな花は冠を
無い風に振るばかり
人のことばで答える筈もない
妙な
花は形がそのまま彼らの名なのだ
種を撒くに必要な名なのだ
きいろいぞ
きいろい、あたりに
光、凝り
花冠の輪は
白く浮いている

第四連。3連で一度切れて、4連のここでは、主体の内面との会話が花に託されて、名前・名のモチーフを持続させる。一面にきいろい光が広がっている河原で、名前を知らない花を見つけた。そして、写真に撮った。花に名前を聞いても花は答えない、そんな意識の移り変わりを言葉にして行き、名前を知らないその花は「光、凝り」、白い花の輪となって、浮いて見える。

姉は
わたしが生まれたとき、もう
死んでいない
名前だけは知ってる
顔は知らない
声は知らない
近くにか

5連。白く浮いているが、突然、死者として姉が登場する。2連目で玉石や草の名を知らないとし、河原に出て、名を知らないということにこだわりながら発語を続けてきたのであったが、今度は逆に、名前を知っているが、顔や声の記憶がない姉、死者が登場する。姉についてのこだわりは、詩集『姉暴き』があり、作者個人に関わることのようであるし、姉暴きの神話的な物語詩があって、深層となっている。最終行の「近くにか」も前後の関連からすると不意な、謎の呟きとなって、最終連へと続く。

五月、おお
老いの五月
ヘラオオバコよ、これ
妻の、可憐な、指先の
白い輪
黄いろい五月の昼の光の中に
白い花火
子は生きものを求めて
温かい水の中に
手を浸す

最終連。白い花冠をつけた草の名は、妻がヘラオオバコと言う。ヘラオオバコの写真を見ると、普通のオオバコより大型で、葉はヘラのような形をしているとあった。花は指のように伸びた花茎の周りに小さな白い花びらをつける。わたしと妻と子が居て、子は生きものを求めて、初夏の水に手を浸す。

詩は、リフレインによって発語を持続させようとする意識が場面を作っている。早いリズムを作って、単調にならないようにしながら起承転結を運び。出来上がっている場面は5月の晴れた日の川原を散策する家族、黄色い光を浴びていながら、「ない」、「なかった」という不在・否定を表す措辞を繰り返し、発語する主体の気分は「きいろいぞ/きいろい」というほど朗らかなものではない。「老い」がそうさせているのかもしれない翳りが「光、凝る」のだろうか。
モチーフとなっているのは名・名前、光が凝るところ。名前がないとそれらは草とか木とか石などと一括されて、光のように見えなくなってしまう。光、そのものは見えないから、名前を得たそのものによって光になる。名前がないとそのひとつひとつはないものにされてしまう。ないものにしてしまうのはこちらの意識で、草や木はこちらとは関係なくそれ自身で生きている。名前がないと来歴を探しようがない。名前があって世界が近づいてくる。名前をたよりにして世界に近づき、世界にふれる。名づけて初めて世界と宇宙に繋がり、そこで生きているという感覚をもつことができるが。

 この詩の後に『野ノ録録タル』が書き下ろされている。作者自身による解説、鑑賞のようにも読めるが、この『野ノ録録タル』について、今回の鼎談で作者ご本人はこうのべている。「僕はこの詩集を作るときの一番の眼目は、一つ一つの詩に『野ノ録録タル』というタイトルで、その当時の自分の生活と関心の在処を散文で書くことだったのね。現実を言葉で書いて、詩を支えていけないかと。」
 更に、詩集のモチーフとして「全体に、言葉が主題になっているんですよね。」と語る。
その『野ノ録録タル』というタイトルからして、擬古的、漢詩調なのは、作者の好みなのか、決意なのか、なにか断定してしまいたいような気分のようだ。作者の日常と関心の広がりの原野があり、その原野からの発語が詩として結実された、というように。「そこにある作者名として自分の名を黒マジックで塗り潰して消すと、俄かに詩の活字の表情が変わってくる。 きいろいぞ/きいろい/おお、晴れ、五月 籠から放たれた小鳥のよう、」とあり、活字になってしまった言葉を活字の状態からそのまま解放して生かしたい、そういうことのようだ。が、活字を読むほうからすると活字のなかから書いた作者に近づきたいと考えてしまう。
自分自身との関係、他者との関係、言葉との関係、家族との関係、死者(亡くなった姉や両親)との関係。それから、知的関心としての書物。海の波、きのこ、アニミズム、明治時代の犯罪や事件。
 自分自身との関係についての文章。「何か自分を越えた大きなものにぶつかるかぶつからないか。自分がそういうおおきなものにぶつかっているとは思えない。そんなものはないのかどうか。こんな自問は無効。」「おおきなもの」とはなんだろう。すぐあとに墓参りのことが書かれている。「墓」を媒介にして、死者を意識する。墓には名前が刻まれている。
4連で花に話しかけるのは、花に霊魂が宿っていて、その霊魂と会話をできたならば、という意識が働いたからか。アニミズムの世界へ。
仮に、何も意識しない状態を海の凪、眠ったような海面とすれば、その静まり返った凪に、波を起こし、波動を言葉にしていったらならば、どうだろう。また、祝祭や呪術に使われるという幻覚をもたらすきのこを食べて他界の言葉を聞くと言うのは。それから、明治時代の「犯罪やわけのわからない事件や珍事」の「言語集成」に「沈潜して」浮上した時の滴を言葉にしてみたら。最後に「七月六日。南天の半球をコマ撮り始めて六日目」となっている。こんな風に見てくると、「おおきなもの」というのが、他界、自然、宇宙というような原初的なところの存在のようにも思えてくる。