2013年1月14日月曜日

句楽詩 1月号
 



ペン画:加藤 閑 『蜜柑』




加藤 閑   ・葱刻む
       忘れるための日記
さとう三千魚 ・「はなとゆめ」9
古川ぼたる  ・冬のブランコ
       言葉を生きる(4)


加藤 閑  葱刻む


葱刻む腕に種痘のある世代
頓服の包は赤く冬の朝
枯れ畑の畝を這ひ出る鷲の影
冬晴れや町のどこかに鼓笛隊
冬麗や鳥の骨鳴る小途ゆく
波よりも雪暗きかな余市港
オリオンに向かひて乾く紙コツプ
香水の瓶かたむけて雪野かな
なべて世の音の上にも霜降りる
雪積もらば地続きとなる彼の世かな

忘れるための日記 

20121214日(金)
水道橋能楽堂で銕仙会。今年の能はこれで観納め。
観世銕之丞の「柏崎」。
昔FMから録った友枝喜久夫、昭世親子の素謡「柏崎」があまりよかったので、いつかこの能を観たいと思っていた。ここ数年、ずっと観ていなかった能をまた観るようになったので、番組に注意していたつもりだったが、なかなか目に留まらない。ようやく年末の番組の中に「柏崎」のタイトルを見つけた。
観世流はあまり観ないのだけれど、かつては観世寿夫で名を馳せた銕仙会だし、演者は九世銕之丞(かつての暁夫)だからいくらかの期待をもって能楽堂に向かう。
もう何十年も前になるけれど、能を観始めた頃、序の舞や中の舞が冗長なだけで何がいいのかさっぱりわからない状態が続いた。けれどある日「采女」の中ノ舞を観ていて、不意に能に舞が組み込まれている必然のようなものが理解できた気がした。いくつか能の舞台を観てきて、そういう時期にさしかかっていたのかもしれないが、そのときの演者が八世銕之丞(当時は観世静夫、きょうの銕之丞の父親)だったということも期待を高めた。
だが、残念ながらきょうの舞台はほとんど心に残らなかった。「柏崎」の詞章は哀傷という点では類を見ないものだし、節付けもクセの出だしなど非常に音を低くとったりして夫を亡くした妻の悲哀を表していると思われる。しかしきょうの地謡は全体的に上滑り。銕之丞の所作も、なにかひょこひょこする感じで、体格のよすぎる肢体と相俟って哀傷というにはほど遠いものだった。

201318日(金)  
大河内俊輝の『能狂い』(三月書房)を読む。
大河内俊輝といっても知る人は少ないが、能評を独立して読める文章まで高めた唯一の人とわたしは思っている。
彼は、三役の払底が演能のレベル向上を妨げていることと、家元による芸系の統制が優秀な芸の継承を阻害していることを繰り返し書いていたが、事態はいまもまったく変わらない。むしろ悪化しているかもしれない。
むろん観客にも責任の一端はある。この本のなかでも触れられているけれど、能の観客の多くは仕舞いや謡を習っている人だから、先生の流派以外の能は観ないという人が圧倒的に多い。舞台芸術は観客によってつくられる側面があるので、当然これは舞台の固定化、涸渇化を招く。
だが、能とか文楽とかは、そういう形で生きながらえているのだ。最近はそう思うことが多い。限られた人が限られた観客の中で演じる舞台。当然、演者と観客はある程度同じ価値観と同じような教養を前提として一つの空間に居合わせている。その濃密さこそが魅力なのだと言える。
人材の払底を憂えるのは常套だけど、このような状況のうえに成立っている興行団体が多くの演者をかかえることは不可能だし、何の分野でも秀でた人はごく一部と考えれば、名人が次から次へと輩出するはずもない。
だから、わたしたちはその中で、できるだけ名人上手の舞台を選んで足を運び、いっときの夢を見るようなものではあるまいか。あたかも、ワキの夢に現れるシテの物語を描いた夢幻能そのもののように。


さとう三千魚 「はなとゆめ」09

 
静かな所


静かなとこ
静かなとこ
静かなとこ
 
には
 
ケージのHarmony XIII  for Violoncello and Piano が聞こえていた
 
繰り返し聞こえていた
繰り返し聞こえていた
 
階段をゆっくり降りていった
 
死んだ祖母が
日焼けした皺くちゃの祖母が
着物を着て窓際に立って
笑っていた
 
笑っていた
 
にんまりと笑っていた
静かにわたしを見て笑っていた
 
静かなとこ
静かなとこ
静かなとこ
には
 
わたしの寝たきりの母も繋がっている
 
きっとわたしの姉も繋がっている
きっとわたしも繋がっている
 
静かなとこ
静かなとこ
静かなとこ
には
 
はなが咲いていた
静かなとこには白いはなが咲いていた
 
ラッキーが吠えていた
ヒバリが空高く鳴いてた
ヒバリが鳴いていた
 
ヒトは
特別な動物ではなく
ほとんどほかの動物と異なるところはありませんが
ひとつだけ異なるのは
ヒトは他界を夢見る動物だということです
谷川さんは語っていました
老いた谷川健一さんが他界ということをテレビで語っていました
 
津波で東北のヒトたちがたくさん亡くなりました
津波で東北のヒトたちがたくさん亡くなりました
 
津波で小舟がたくさん流されました
 
静かなとこ
静かなとこ
静かなとこ
には
 
たくさん小舟が流れ着きました
たくさん小舟が流れ着きました
たくさん小舟が流れ着きました
 
死んだ祖母が笑っていました
 
日焼けした皺くちゃの祖母が笑っていました
着物を着て窓際に立っていました
 
にんまりと笑っていました
わたしを見て笑っていました
 
静かなとこ
には
 
静かなとこには白いはなが咲いていました
静かなとこには白いはなが咲いていました


古川ぼたる  冬のブランコ


会えば最初に
きっと訊くだろうな
いくつになったんだいっ
もうすぐ62だよ
そうかい早いもんだなーっ
ずいぶん風がつよいねっ
こんなに朝早くっから
何してるんだいっ、て訊くだろうな
詩を書いているの
へー、そうかい、しーかいてるのかっ
読んでみる、と訊けば
そうだねっ、て応えるだろうな でも
いつまでたっても母は
鼻歌を歌っているだろうな
鼻歌を歌って許してくれてるのかな
最後まで弟に看取らせたこと
 
手首を失くした幼い母と
足首を失くした幼い父を
1月のブランコに乗せて
幼い父に鎖を握らせ
幼い母を板に立たせて
幼い長男が背中を押している
押されるたびに
失くした手首がイタイイタイ
戻るたびに
失くした足首がイタイイタイ
押されるたびに
風がイタイイタイ
戻るたびに
風がイタイイタイ
イタイイタイ風が吹き通して

それからまた
ずいぶん悪い風が吹くねっ
タバコはよしたほうがいいよっ、て言うだろうな
止められないよ、と応えると
そーかねーっ、て言って
鼻歌を歌っていたな
悪い風を忘れる歌だったんだ



言葉を生きる(4)


『鼎談〈現代詩〉をもみほぐす そしてもっと詩を楽しむ 第2回』(鈴木志郎康、辻和人、今井義行)の約半分までについて抜粋し、私用のメモを作り、それについて感じたことや考えたことを書いてみました。


・詩人の立ち方-吉増剛造と谷川俊太郎の場合

鈴木:吉増さんは、僕から言って、正に詩人と言える人のその一人ですよね。
   起きてから寝るまで詩で生きている人なんだよ。
   僕は生活者だけど、日本の詩を書いている人の中で吉増さんのような人は、そう居ないと思うんですよね。

今井:吉増さんのようでありたいと思うけれど、まだまだ道は長いですよね。谷川さんは翻訳とか、別の著作業もするじゃないですか。僕は、それはやりたくないんですよね。

辻 :わたしは詩を読み始めたときに、吉増さんの詩はすごく格好良いな(・略・)、それがあるとき逆転して、空疎な詩に見えるようになってしまった。身振りだけ華麗で、意味が希薄ではないかと。それからしばらく経ってまた逆転して、言葉の手応えがすばらしいと思えてきたんですね。(・略・)吉増さんがどこまで計算して吉増剛造をやってるのか、よくわからないんですよ。どこかで作為が入っているんじゃないかという不安がよぎる。

鈴木:(吉増さんは)完成に向かっていく詩とか、スタイルを作っていく詩ではないと思う。自分で考え感じたことを正直にやっているから、必然的にスタイルができる。
   それに対して谷川俊太郎さんは、言葉のいろいろな側面を発見して行くところで、独自の道を進んで行っているが、(・略・)メディアの中で機能していく詩としてできあがっている。
   谷川さんの詩は言葉との関係の中にあり、今井さんの詩は生活の中にある。

   詩はそこに生きている人の問題なのに、そこに何の紹介もないのはおかしいいじゃない。

辻 :時々谷川さんの詩に、もっとどろっとしたものがあればと思うんです。(・略・谷川さんは)メディアの中で輝く存在として、自己決定したんだと思います。(・略・)いまメディアは、ソーシャルメディアに重心が移行しつつあって、谷川さんはマスメディア止まりだと思うんですよ。詩が一定のパッケージに収まっている感じで、自分は生産者ですよ、読者は消費者ですよ、という区分けがシンプル過ぎるように見えるのが谷川さんに対する不満かなあ。

鈴木:僕は、メディアということで言うとね、吉増さん自身が、メディアなんだよね。だから、固有なメディアとして、吉増さんは生きているなと思う。それを全うしようとしているところが、偉いなと思う。

・詩人の立ち方-福間健二『青い家』(思潮社)を巡って

今井:例えば吉本隆明さんが自意識を晒す、それから吉増剛造さんは身体を晒す、で福間さんは自分の身体で動いて書いている、そういう感じがします。
   『青い家』は、500ページというエネルギーで押していく力作だと思うんですけど、そういうことを実践している詩人だと思います。こんなにたくさんの詩がなくても良いんですよね、僕からすると。だけど、メディアの中で立っていきたいから、作戦を練ったんだと思うんですよね

辻 :福間さんは、自分は詩人としてやっていくんだという意識が強い。『青い家』(思潮社)の中に「P中毒」という詩があって、ポエム中毒ということだと思うんですが、詩人としての思い込みの強さみたいなものを、詩人であることによって自分が治癒されるっていうんですかね、そういう倫理性を比喩的に語った詩だと思うんですよ。わたしはそういうことを素直に晒せるっていうところが福間さんの良さだと思います。それと、詩人としての上昇志向も隠さない。表題作の「青い家」では「名前を呼ばれる」ために待っているわけじゃないですか。認めてくれないのはつらいと素直に書く。コンプレックスをさらけ出すところにも好感を持ちます。

鈴木:僕はね、福間さんの『最後の授業/カントリー・ライフ』(私家版)が出たときに読んで、しっかりと生活して自分の言葉で詩を書いている新しいタイプの詩人だなと思ったんですよ。(・略・)あえて言えば、いい悪いはともかく、現代詩は頭でっかちになっていると思う。(・略・)福間さんは身体性というより人間の基本的な行動を言葉の裏付けとして持っているように思う。その行動が詩人という存在に向かっているように感じる。(・略・)詩人としての普遍性にトライアルしている詩人ではないかと思うわけ。

辻 :ところで、福間さんはヒローでありたいという自分も書くけど、ヒローになれない自分もちゃんと書くんですよね。

鈴木:隠喩で書くということとヒロイズムの関係は面白いよね。イメージが印象的な格好いい言葉の書き手ということでヒーローになる。
   今井さんの詩もヒロイズムを若干感じるけれども、ヒーローになるというよりか、ヒーローとしての姿を言葉の上に出す仕方は取っていない。今井さんの詩は、もっと本質的なところに入り込もうとしながら、入り込めない。そのもどかしさにいつも悩まされている人かなと感じる。(・略・今井さんは)隠喩を使って、ヒーローになろうとしないから、そこがなかなか受けないのかもしれない。

以上は、第2回鼎談の約半分までの会話から詩を考える上でのヒントとして私用に抜粋、
メモを取ってみました。下線も私が付けたものです。

ここには3氏の詩人という存在についての考え方、書かれた詩の内容についての考え方、
詩とメディアの関係についての考え方が語られている。3氏に共通しているのは、詩から生
きて生活している実感、現実を手放さないことだと思った。
生活が生みだす実感、生活に根を張った言葉、現実感。人が生きていくという事は余程の
事情がない限り、日常生活を営むことで、そこに個人の生を実現していくのだが、生を実
現すると言葉では簡単に言えるが言うほど簡単には行かない。まず、実現すべき個人の生
=私は何を実現しようとするのかを自覚しなければならない。ここでは、当然、詩を書く
ということになる。『句楽詩区』を昨年から始めて思ってもみなかった人に読んでもらう
ことができた。それはもちろん鈴木志郎康さん、辻和人さん、今井義行さんの力によると
ころが大きいのは十分承知している。それだからこそ、継続していきたい。
SNSは便利なメディアでしかもいまのところ、無料でやっている。そうなって、では継
続していくにはどうしたら良いか。その支えが必要になる。その支えを考えることがこの
鼎談を読み込んでいくことなのだった。
ただ、生きていくだけでも思いのままにならないし、そのうち思いのままにならないこと
が当たり前になってくる。生きてゆくというのは思いのままにならない人生に耐えて生き
抜くことだよ、なんて処世訓みたいな詩を書く人もいるけれど、当たり前のことに亀裂が
走ってしまった人が大勢いる。300万人以上とも言われる精神疾患に苦しむ人たちは今の
社会が強制してくる当たり前を突き破ってしまった人たちのような気がしてくる。それ
は、私の気がつかないところに気づいてしまった人たちといえる。気づいたことで社会か
ら疎外された人たちの無念さがあり、気がつかないままのうのうとしている私がいるとい
うことは、生きていくという事の真実を知らずにいることになる。(少々脱線)。

吉増剛造氏について「起きてから寝るまで詩で生きている人」とし「僕は生活者だ」と鈴
木志郎康さんが語るとき、生活が生みだす実感、生活に根を張った言葉、ということを思
った。それは、それを「自分の言葉で書く」福間健二氏への共感に表れている。
辻和人さんが吉増氏の詩を「身振りだけ華麗で、意味が希薄ではないか」というところで
は、辻和人さんが詩に、意味を求めていることがうかがえる。それは、谷川氏に「もっと
どろっとしたものがあればと思うんです」というように生活している実感、生活を背負っ
た言葉を求め、それが「意味」という言葉の内実と考えられた。

辻和人さんの吉増「詩」の感想に、鈴木志郎康さんが「自分で考え感じたことを正直にや
っているから、必然的にスタイルができる」と言う。
こういうのが凄いな、と感じる。身も蓋もないことを言ってしまかもしれないが、自分で
考え感じたことを正直にやるって、困難ですね。私など自分で考える、と言ってもほとん
どが何処かで誰かが書いていたことをなぞり返してるようなものになってしまっている
のではないかと恐れている。なぞり返して安心してしまうのだ。破らないといけないな。
もちろんここで鈴木志郎康さんは、吉増氏の言葉、詩、世界についての考えや感じたこと
について語っているのであって、一般論としてのことではない。

先日「飾粽」の終刊号を捲っていて、加藤温子さんと言う方のエッセー「≪Ω≫の軌跡」
にたまたま出会って、止むにやまれぬという感じで書かれたやや難解な文章に共感を覚え
たのだった。少し引用します。「(・略・思考言語は)その言語空間の中ではあざやか
に全体性を獲得しているかのようにみえても、いったんそれを具体化しようとすると、た
ちまちその言語を使う人の数だけの解釈ができてしまうと思います。その曖昧さがとても
気になります。」この曖昧さを、その言葉を使える人たちだけが曖昧なままに共有すると
いうことから、ジャーゴン化していくことへの腹立たしさが述べられていた。

大げさな言い方になってしまうが、考えるって、どこかでそれが普遍性へのつながりを求
めるものと思える。深く本質に届くようなつながりであればそのつながり方に個人の生き
た実感が刻印されるだろうが、薄っぺらなつながりでは、いわゆる常識に終わる。処世訓
や標語のような断片にしかならない。言葉はそれを表現する人に普遍性を求めるものだと
思える。そこに何か落とし穴があると思う。表現したい人は個別的でありたいから、言葉
で個別性を表現するということはもともと背反することなのだろう。そこに、スタイルや
技術が必要になってくる、と思える。
昨年の4月から住んでいる町の図書館で俳句入門講座が始まって、私も入門した。
ほとんどの人が初老と見える。定年退職して時間的なゆとりが出来て、なにか自分の人生
に有意義な時間を持ちたい、というふうに考えて参加しているようだ。毎月一回、最低2
句作り発表する。
そこで発表される句を読むと、孫との楽しい時間が持てたことや景勝地に行ったことなど
が書かれている。あるいは、散歩していて見たことなど。そこで感じるのは、言葉をうま
く使えるようになることに喜びを見出そうとしているようだった。
そうか私も言葉をうまく使いたいのか、と反省してみて、そこには詩のようなものがある
だけで真実は無いな、とこの鼎談を読みかえし、読み進めている。